Photo Essay

2024.03.18のフォトエッセイ

あまり物欲のない自分が、ここしばらくずっと欲しいと思っていた念願のブツ。
燕三条の吉田金属工業の包丁ブランド「GLOBAL」の牛刀20cm。
料理好きの人には何を今更という感じかもしれないが、そのへんのスーパーに売っていた三徳包丁を適当に使っていた自分にとって、1万円超えのちゃんとした包丁を買うのはかなりのドキドキ体験。
青椒肉絲をきれいに作りたい!鶏肉の下処理をストレスなくやりたい!などといった思いから、肉がよく切れる包丁がいいなと思っていて、スンッと綺麗なシルエットにも惚れて、牛刀を買うことにした。
早速使ってみて、あまりの切れ味の良さに感動。そしてステンレスの薄い持ち手が手にフィットして気持ちがいい!料理がより楽しくなって、色々切りたくなりひたすら人参を千切りしていた。笑
なんとなく、高い包丁は自分には使いこなせないかな、と思っていたけれど、逆で、安い包丁を使うほうが上達は遅くなるし危ないと実感。これは初心者が激安ギターを買わないほうが良いのとよく似ている。
これから相棒として末永く使っていきたいと思う。

刃物は人を傷つけるのにも使えてしまう一方で、本来の用途に従えばとても美味しい料理を作ることができる。
言葉も同じで、言葉で人を救うこともできれば、言葉のナイフで人を傷つけることも容易だ。
調理師が包丁を大切にするように、弁護士も言葉を大切にしなければいけない。

安くて汚い言葉で大の大人が小学生のような言い争いをする現代社会にあっても、ありがたいことに僕のお客さんは優しい方が多いので、人を傷つけるような言葉を吐く人はほぼゼロだけれど、でもそういった方々も、実は一番身近な人を思い切り傷つけていることが多い。
それは「自分自身」。
他人を傷つけまいとして、自分を傷つけてしまっている人が多い。
思考は言葉がなければ生まれない。言葉がなければ感情は深堀りできない。それは良くも悪くも。
包丁が美味しい料理を作るためにあり、他人はもちろんのこと、自分自身を傷つけるためにもまずい料理を作るためにもあるものではないことと同じで、言葉は自分を傷つけるためのものではないから。

これは自分自身にも言い聞かせていること。さんざん傷ついて、自分で傷つけて、自分で気づいて学んだこと。
言葉は力を持っている。
だからこそ、その刃先がどこを向いているのか、しっかりと見据えなければいけない。