Photo Essay

2026.09.19のフォトエッセイ

いつのまにか金木犀が柔らかく香っていることに気づく。
ここも気づけば素人の自己満工作ブログみたいになりつつあるけど(すんません笑)、また紙材工作のスペースに行ってきた。

今回も何を作るかは決めず、直感と心地よさに流されて創作。自分にとっての秋のイメージを気の向くままに。

小学校の通学路で、駅から学校まで右手に延々と鉄柵があるまっすぐの道を歩いていた。そこにイチョウやモミジが鮮やかに散らばっていたのが、自分にとっての秋の原風景。

ふと懐かしくなり、Googleストリートビューで通学路だった場所を見てみたら、鉄柵は変わらずあったけれど、11月の写真なのに木々の葉はそれはもう見事な緑色で笑

この通学路は今までもことあるごとに夢に出てきて、登場するのは小学生の自分ではなくて、もうほんといろんな場面や人物がごちゃ混ぜになっているのだけれど、そこで無意識に編集された記憶なのかもしれない。

過去の記憶など曖昧なもので、ディズニーランドにいるはずのないバッグスバニーがいる合成写真を見せたら多くの人が見た記憶があると言ったという実験を思い出す。
世界五分前仮説すら、否定はできない。他人がいるのか、過去があるのか、自分はいるのか、肉体は存在するのか。
存在意識以外は全て推測に過ぎず、全ての対象は曖昧に溶け去っていく。

じゃあなんでこんな記事を書いているのか。
そんなことはわからない。ただ実相の蠢き、存在意識の絶え間ない流れを感じている。