Photo Essay

2026.02.24のフォトエッセイ

ルービックキューブはどんなにぐちゃぐちゃになっていても、「お作法」さえマスターしていれば3分で普通に揃えられるようになる。それは状況に応じて臨機応変に頭を使ってパズルを解く、本来想定されている感じではなく、いわば作業ゲーみたいな感じになる。
自分は空間認識が得意ではないので、ルービックキューブを極めることは早々に諦め、ただ「ぐちゃぐちゃなものを綺麗にする」という整え欲みたいなものは強いので、そのためだけにルービックキューブの揃え方をマスターした。なのでどんな局面でも馬鹿の一つ覚えみたいに順を追って揃えていくし、無駄な手数は多いと思う。けれど目的が揃えることにあるので、過程がどうであろうと個人的にはどうでも良い。

「どうしたら苦しみのない幸せな現実になるのか」有史以来人々が求め続けてきたテーマだけれど、これも同じ話で、頂上に登るルートは色々あるし、人それぞれなのだ。
結論を言ってしまえば、世界は非実在の幻想であって心の産物に過ぎないから、心を静かにしてただこの現実を照らしている意識そのものとして在れば勝手に不足は消えて、この幻想世界の自然な秩序に従って適切な現象がもたらされる、それが苦しみのない幸せな本来の状態である、というところなのだけれど、これがただ言葉だけを追っていると、無意識に作り上げられた強烈な自我をベースに考えてしまうから、ドツボにハマってしまう。
だから僕みたいなくそ真面目で不器用なセンスのない人間は、愚直にシャンカラを読みまくって理論的に主体を解体して、それと実際の経験でひたすら世界を体験して苦しみまくってある意味やり尽くすことが必要だった。
で、どんなにやってももうダメだ、自分には何もできない、終わった、そのときに、そもそも自分などいなかったことに気づく。
こういうタイプは、「執着しなければ願望は叶いますよ」とか言われても、執着がなくなったかどうかを見張ることに執着してしまうので(笑い話のようだけど本当に巧妙に入り込んできて恐ろしいくらい)、次から次へと、願望が生まれる原因となっていた不足感がいろんな形で噴出してくる。そしてそれを見てさらに不足感を感じて無限ループ。
構造を見抜けば簡単なことなのだけれど、やはり後生大事に守ってきた「自分」という思い込みを完全に解体しないと、ここに書いている話も違って解釈されてしまうかもしれない。

もっとも、意識無意識問わず直感的に全てを把握して、次々と幸せな現実が展開して好循環に至れる人もいる。
そういう人は羨ましいけれど、一度でも主体がぶっ壊れた経験がないと、外的事象に幸せかどうかの判断を依存してしまうから、好循環がなんらかのきっかけで止まった(老いを意識したり、大切な人の死に直面したり)ときに、一気に不足ループにハマってしまうこともある。

久々にハードコア寄りの記事を書いて読者完全に置いてけぼりと思いますが、こういう記事の方が好きと言ってくださる方もいらっしゃるので、懲りずにちょこちょこ書いていきたいと思います。
しかしこの前久々に検索解析を見たら、「無限遡及」でこのサイトに辿り着いている変態(褒め言葉です)がいたのでとても嬉しいです。

東京地裁からの帰りの電車でこの記事を書いていて、横浜に着いたのでオチもよくわからんままですがこれで筆を置きます笑