デザイナーの心友繋がりで知った、フラワーサイクリストの高橋響さんの素敵なドライフラワースワッグ。イベントで一目惚れして購入。
部屋に飾って何度も撮ってみたけれど、ダメだ、この花の持つ美しさ、可憐さ、儚さの半分も表現できてない。これはひとえに僕のカメラの腕前のなさである。
それくらい、素敵な花。
ドライフラワーは、いったん死んだのかもしれないけれど、むしろ魂はより本質的な輝きを持つことになる。
それは、人間の魂も同じだと思う。
自分も、現実の苦しい状況でとことんまで自我が追い詰められて、八方塞がりになり、何度も何度も内省して、思考しては手放しを繰り返してきた。
挙げ句の果て、エゴが完全に絶望の底に叩きつけられる出来事が起きて、しばらく茫然自失になった。
けれど、それと同時に、ピンと張り詰めていた緊張の糸が切れて、急に視界がクリアになり、エゴで覆い隠されていた真理が見えてきた。
過去への後悔や未来への不安に思考が飛ぶとき、罪悪感を感じるとき、源泉からのエネルギーは壮大なロスを繰り返している。
お前はエネルギーをすり減らしたいのか、この宇宙で循環させたいのか、と問われれば、答えは後者に決まっている。
それを思ったとき、理不尽なエゴの物語、自作自演の「願望実現ゲーム」は終わり、心・想念は死に、ただ透明な魂がずっと光り続けていたことに気づいた。
不足を見ず、今に在り、ロスを無くし、澄んだエネルギーをいつまでも世の中に発し続ける。循環させていく。
僕がこれから大事にしていきたいことは、響さんのフラワーサイクルの思想や、この花の美しさと、同じだなと思う。
うまくオチがつきました。笑