Photo Essay

2026.06.03のフォトエッセイ

紛争に巻き込まれてただでさえ辛いのに、外野がやんやうるさくて、という声を依頼者さんからたまに聞く。
うるさい、と感じているなら、その外野の言葉はあなたにとって必要なものではない。
当事者でもない、法律の専門家でもない、そんな人間が好き勝手言うことを聞く必要はない。
信頼できる人の心のこもった言葉であれば、専門家である必要などなく、聞き入れたらいい。その人の言葉は愛の言葉であり、その点において真実だからだ。そのうえで必要なら専門家にも相談すればいい。

聖ラーマクリシュナは、「大麻という言葉を何回繰り返しても大麻の酔いは得られない。水を混ぜてどろどろになるまで突き砕き、それを飲むことで酔いを知るのだ」といったメッセージを伝えている。百聞は一見にしかず、では綺麗すぎる。この比喩も含めて完璧だと個人的には思う。

ネットを見れば、当事者でもなく正確な知識もなく汗ひとつかいていない人間が、脳の欲求を満たすためだけに好き勝手に意見し言葉を吐いている。
そんなものに何の価値もない。
少なくとも間違いなく言えることは、あなたは実際に紛争のただ中にいて、当事者としてそれを経験している。
百の文献を引用しても、百のコメンテーターが言葉を撒き散らしても、あなたの経験を正確に捉えることは絶対にできない。
それを理解した上で、あなたにあえて言葉をかける人、言葉のための言葉ではなく、沈黙から生まれた言葉をかけてくれる人、その人の言葉だけを聞き入れたらいい。
そして何より、一番大事な自分自身の感覚を、外野への反応ではない本当の生の感覚を、大切にしてほしいと思う。

なんか偉そうな記事になってしまい恥ずかしいというか、開業以来こんなエッセイは書いたことがなかったけれど、どうしても書きたい気持ちが起こってしまったので、ほぼ自動筆記で書いています。ご容赦。