久々の出張で広島へ。
父が広島出身なのでなんとなく縁を感じるのだけれど、自分は高校時代に学校の旅行で一度行ったことがあるくらいで、そのときも、何を一番覚えてるかっていったらクラスメイトの大人っぽいFさんがブラックの缶コーヒーを自販機で買っていたことで、当時ジョージアの「ちばらきコーヒー」(笑)ことマックスコーヒーという激甘のコーヒーを愛飲して「俺コーヒー好きなんだよね」と宣っていた僕には衝撃だったという本当にしょうもない話で。
あれから20年以上が経ち、普通に広島のホテルの部屋でブラックコーヒーを淹れているのがなんか面白い。
コロナ禍以前にバシバシ出張行っていた時は、ここぞとばかりにその土地の地酒や郷土料理、地元のバーやカフェを楽しんだものだけど、すっかり酒も飲まなくなり、人とも無理に会わなくなり、全てはただ起きているだけだと気づいてからは、出張も旅も物語でしかなくなった。
別に横浜だろうと広島だろうと、大阪だろうと福岡だろうと、かき氷のシロップの味(色と香料w)が違うだけみたいなもので、もちろん目の前のことは味わうし楽しむけれど、そこに頭で考えた物語はないというか。
「広島に来たからにはお好み焼きは食べないとなー」は物語、お店で地元の人と交流しようとするのも物語。広島駅前を歩いているときに「おーこんな感じなのかー」と思ったけど、よく考えたら川崎駅のミューザの先、尻手方面に初めて歩いた時の「おーこんな感じなのかー」と体験の質として何も変わらないなと。
なんか虚無的でつまらなく聞こえるかもしれないけど、逆で、頭で考えないから目の前の現象を楽しめるのだ。
昨晩はホテル近くのなか卯に吸い寄せられるように入っていき、あ、牡蠣とじ丼美味そうだなと思ったら広島県産牡蠣と書かれていて笑う。そして水を買いにコンビニに行ったら、なぜかローソンに地元の洋菓子屋さんの商品が売っていて、しかも米粉スイーツだったので購入。
広島感を味わおうとか全くしてないのに、図らずも広島産牡蠣のディナーと地元の洋菓子屋さんのデザートを堪能したわけである。物語を頭で思い浮かべながら動いたときの体験とは軽やかさが違う。
とはいえ、出張には逆の効果もあって、普段の街並みと違うところを歩き、プチ異邦人になることで、悩みとか不安とかはなんかどっか行ってしまうのである。いつもと同じ職場、同じ景色だから、悩み不安の物語が固着してしまうみたいなところがある。
普段の物語を引き剥がして、新しい物語を付け加えない。そうすることで、現実が真の姿を現すんじゃないかなーと思います。知らんけど。