横浜の風景

私の今まで

このページを開いてくださる方はだいぶ物好きな方だと思います(笑)
私の人となりが少しわかると思います。暇つぶしがてら読んでいただけたら幸いです。

3歳から5歳まで、家庭の都合で海外の幼稚園に通っていました。現地では日本人幼稚園に通っていましたが、文化が違ったのかわかりませんが、日本に帰国後、小学校ではあまりクラスメイトと馴染めませんでした。

中学校に進学後、自分の性格にも問題があったのだとは思いますが、いじめを受けました。変なあだ名をつけられて大きな声で呼ばれたり、隅っこの席になった時に床にビニールテープを貼られて疎外されるなど、今思うとしょうもないからかいですが、当時の自分は本気で落ち込み、学校を休んだりしていました。

そんな時にハードロックやヘビーメタルなどを聴くようになり、ギターに興味を持ちました。鬱々としていた私に楽しみを見つけてほしいと思ったのかわかりませんが、親が初心者用のエレキギターを買い与えてくれました。小学校の時からアコースティックギターは少し触っていましたが、初めてエレキギターで音を出した時は興奮しました。

18歳の頃 目黒鹿鳴館にて

恥ずかしながら本気でロックミュージシャンになりたいと思い、作詞作曲をするようになり、高校に進学してからはライブハウスで演奏するようになりました。中卒で同い年なのに普通に酒タバコをやっている子が案外いいヤツでギターがすごくうまかったり、そういうことが自分には新鮮でした。勉強は、ロックをやっている奴は馬鹿だと教師に思われたくないからやっていました。教師のことは好きではありませんでした。今思うと可愛くない生徒だったと思います。

大学に進学した後もミュージシャンになる夢は変わらず、髪を伸ばして化粧をして、目黒鹿鳴館などのライブハウスでライブ活動をしていました。しかしバンドが解散して、その後も色々と活動をしてみましたがうまくいかず、落ち込んでいる時に飯田橋のブックオフでなんとなく手に取ったワーグナーのCDを聴いた瞬間、自分には音楽の才能が全くないと強く思い、音楽の道を諦めることにしました。

大学でたまたまお世話になっていた教授がいて、その教授は、私が音楽の夢を語った時も「君は面白いね」と笑い、応援してくれていました。音楽の夢を諦めることにした時、出遅れたけれどどこかのゼミに入らなければいけないと思い、教授に相談したところ、イレギュラーな時期なのに事務局にかけあってゼミに入れてくれました。そして、司法試験を受けることを勧めてくれました。初めて尊敬できる先生と出会うことができ、私は弁護士を目指すことにしました。

その後、運良く司法試験に合格することができ、司法修習という、弁護士になる前の研修を受けることになりました。全国どこでも好きな場所を選べるのですが、皆様すでにお分かりの通り私はあまのじゃくですから(笑)、希望者が少ない修習地にしか興味がなく、また、北海道で一人暮らししたかったこと、ハイカラで綺麗な街に住んでみたかったことから、函館を希望しました。

函館での生活はとても思い出深く、現地で大切な人の縁がたくさんできました。また、小さい頃から教会やクリスチャンへの憧れが強かったので、一人でいきなり教会を訪れ、毎週通って勉強をしてカトリックの洗礼を受けました。観光名所にもなっているとても美しい教会で色々学べたことは、私の人生にとって大きな財産になりました。

25歳の頃 函館で受洗

弁護士になってからはとにかく必死に仕事をやりました。甘えや油断が出ることもありましたが、真剣で優秀な先輩方に恵まれたこともあり、真面目に突っ走ることができたと思います。所属していた法人の創業者である谷清司先生には、弁護士として、人として、経営者として、大切なことをたくさん教わりました。

まだ30年と少ししか生きていないので、周りの方から学ぶことばかりで、日々経験、日々勉強ですが、凝り固まることなく、感覚を常に研ぎ澄ませていたいなと思っています。