横浜の風景

ブログ

2020年5月6日

自粛と怒りのデザイン

アイキャッチ画像 考えたこと

連休中、育児と家事の合間にKindleで沢山の本を読んだ。

普段芸能人のエッセイは読まないのだけれど、オードリーの若林さんが大好きなので、ふと読んでみたら面白すぎて見入ってしまった(若林さんと知り合いなわけでもないのだから、若林と呼び捨てにすべきなのだろうけど、なぜかできない。馴れ馴れしくてごめんなさい)。

このエッセイ集の魅力を書こうとするとかなりの紙幅になってしまうし、このブログは書評などをする場ではないから、具体的な感想は控える。けれど、本当は人が好きなゆえに人見知りで、頭がいいのに純粋すぎるゆえにひねくれて思われてしまう、彼の人柄がとてもよく表れていた。日常の一コマから思索を巡らせていって、いつのまにか深い考察に至っている。読みながらハッとするような気づきを沢山もらった。

そんな中で、「デザイン」された番組についても言及していた。例えば、「外国人は日本人の麺をすする音が嫌いだ」という話で、麺をすする音をイヤホンで外国人に聴かせる。当然、不快感を示す(人の食事の音をイヤホンで聴かされて不快に思わない人がいるだろうか)。それで、コメンテーターが「ここは日本だ、嫌なら日本に来るな!」と怒る。麺をすする音が嫌いな外国人がどれだけいるのかという公平で充実したデータは伴わない。こういう番組について、「デザインされている」と若林さんは言う。「怒らされている」気がしたと。そして、これはさも教室におもちゃのヘビを投げ込んで教室がパニックになるようなものだと。本物のヘビではないのだ。

「デザイン」という言葉が自分には新鮮だった。いや、テレビ業界の人にとってはひょっとしたら当たり前の表現なのかもしれないけれど。

でも、特に昨今の報道を見ていると、さもありなんと思うのである。

もともとテレビやネットニュースなんてものは不安を煽って広告をガンガン差し込んで消費を促すためのものだとはわかっているし、そんな理由からどちらもほとんど見ない。けれどたまに見た時に、この全世界が不安になっている状況下で、その「デザイン」の程度がますますひどくなっているなという印象を受ける。

例えば自粛について。子どもを公園で遊ばせている家族はなんなんだ、いい加減にしろ、こういう奴らがいるから感染増加が止まらないんだ、という論調を見かける。

先日、横浜で砂場にカッター刃が混入されるいたずらがあったニュースに対しても、「自粛せずにうるさく騒ぐ子どもたちへの怒りではないか」とネットでこぞって皆がコメントしているが、本当にそうなのだろうか。そういう犯人像を勝手に作っているし(それは自分もうるさい子どもに同じ怒りを感じているか、子を持つ親として怒りを向けられていると無意識に感じているか、いずれにしても引っかかる部分があるからだろう)、ひょっとしたら事実そうなのかもしれないが、別に子どものいたずらの可能性だってある。大方の予想通り成人が犯人だとしたって、おそらくこの今の状況にかこつけて皆が欲しがるもっともらしいことを言うだろう。そうするとまた、コロナ禍での怒りがデザインされる。

我が家は毎日外出している。子どもを公園で遊ばせている。なぜか。おうちにいようねというと、外に出せと烈火の如く泣き叫びまくり、何であやしても無理、テレビは見せたくないけれど最終手段で見せても無理、外に出るまでは絶対に一歩も引かない、まだ喋れないからなぜパパママに伝わらないのかとますます怒り狂って収拾がつかなくなるのだ。この大絶叫は、普段メンタルが安定している方だと思う自分ですら頭がズキズキするほどだ。そのくせまだ小さくて持久力がなく、一回あたりの外出時間は長くないので、何度も何度も外に出ることを余儀なくされる。

親が子どもと能天気に公園で遊んでいると思うならそれは間違いだと思う。ほとんどの親が、致し方なく、根負けしているのだ。そして出るからには楽しもう、楽しませようと思っているだけだ。もちろん子どもが悪いと言っているのではない。子どもがそういう気持ちになるのはどんな年齢であってもそれぞれの心理状況の中で当然のことだ。自分が子どもだったときのことを思い返せばいい。

そんなわけでスタンダードな対策を一通りしっかりとったうえで、空いている公園で遊ばせたり、あとはバスが大好きなので交差点でずっとバスの往来を眺めていたりする。そんな毎日だ。

何が言いたいかというと、自分の行動を正当化したいわけでもなく、子育て世帯が正しいというつもりもなく、ただ、人の行動には理由があって、それを本当に知らずに批判することに何か意味があるのだろうかということだ。

事務所の近くでは自粛している店も多いもののやっている店もあって、沢山のお客さんで賑わっている店もある。でも皆が理由があって行動しているのだ。

自分は外で酒を飲むことも友人と会うことも一切控えているけれど、自分には話し相手の妻もいて楽しみをくれる息子もいる。そういう意味では恵まれている。

世帯が一人なのか、大勢なのか。どちらにもどちらの良さと不都合がある。お酒やパチンコなどが好きか否か。これもどちらがいいとかいう話ではない。

一人ひとりの今までの人生、習慣、趣味嗜好で、この置かれた状況に対する行動の仕方は千差万別だ。

法を犯す行動をしているのであれば格別、今は人の行動を批判する時ではない(職業柄、その場合すら批判はしないでまずは事情を知りたいと思ってしまうけれども)。

自分のストレスを誰かの批判や正当な怒りとしてデザインしているだけのことだ。

もちろん、自分もこういう風にデザインされた情報社会に憤る自分を無意識にデザインしているだけだ。

皆がシャドーボクシングをしているのだ。

だからもうこれ以上はなにも書かないけれど、皆もう少し気持ちを楽にして、杓子定規になることなく、それぞれが置かれた具体的な状況ですべきことを考えて、淡々と実行していくべきなのではないかなと思う。


saitoyuta
弁護士

横浜・桜木町を拠点に活動する弁護士。5年3か月の勤務弁護士時代を経て独立開業。一児の父。精通分野は交通事故(被害者側)。

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