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四月、某、桜吹雪

事務所から見える大岡川の桜が、今年も美しく咲いた。
どんなことがあっても、毎年この季節はやってくる。そして、この美しい桜は花曇りの不安定な時期に咲いて、冷たい雨とともに散っていく。
東京の裁判所からの帰り道。電車でヨルシカを聴く。暖かくなると無性に聴きたくなるのだ。
「八月、某、月明かり」という曲がある。
“人生、二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った”
27で他界するミュージシャンが非常に多いことから「27クラブ」なる言葉まで生まれていることにあやかった歌詞だろう。
自分のこの歌詞の捉え方が、去年の桜の時期と違っていることに気づいた。
一年前と言わずとも、本当に最近まで。死に引きつけられるところがあった。
連日深夜に仕事を切り上げて帰る時に、新横浜通りを爆走する車に飛び込んで消えてしまいたいと思ったことが何度もあった。
ひとりぼっちで、精神的にも体力的にも限界だった。
相手方との折衝や、単純な仕事の大変さはそうでもない。味方であるはずのクライアントから信頼してもらえないことほど精神を抉るものはない。ほとんどないが、ごくたまにあるとそれだけで事件100件分くらいの重圧になる。
けれど、そういう暗く辛い世界にしていたのは自分自身だと気づいた。
多忙な中でも時間を作ってくれて、人の優しさや世界の美しさを気づかせてくれる友人が、少ないながらも、ありがたいことにいる。
最近、ストア哲学にはまっている。セネカなどを読んでいるのだが、荒波で疲れ果てながらも色々と削ぎ落とされて強くなった自分の支えになってくれる。
27で死んでいたら、今この桜は見れなかった。独立も離婚も経験できなかった。学べないことがたくさんあったし、出会えなかった人もいる。
仕事柄、魅力に溢れる方が夭折してしまう事実に向き合うこともある。
その人たちの分もちゃんと生きなければ、というのは綺麗事かもしれないけれど、でも綺麗事じゃない。今は本当に心からそう思うのだ。
借り物の人生だけれど、しっかりと丁寧に生きて、世界を少しでも明るくする光になりたい。そして、しかるべき時に宇宙にお返しする。
まだまだ、やらなきゃいけないことがたくさんある。
今年の桜はそんなことを教えてくれた。
四月には桜吹雪になるのだろう。
事務所にいらした方は、ぜひ相談室の窓から桜を見ていってくださいね。