横浜の風景

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2022年7月10日

取捨選択

アイキャッチ画像 雑感

今日、夕飯を久々に某ファーストフードで食べたいなと思い、列に並んで待っていたところ、自分の前の男性客が、レジに呼ばれるなり、オラオラ系の早口で、色々と裏メニュー的に指定する複雑な頼み方をして、レジの若い女性の店員さんが困惑しているのを見て「お前注文ちゃんと理解してんのか?!わかってねーならなんで適当にハイとか言ってんだよ!結局できんのかできねーのかどっちなんだよ!」などと声を荒らげていた。

あー、だせえ奴いるわ。。自己肯定感低いんだろうな可哀想に。。と思いながら見ていたのだが、部外者の自分に何ができるわけでもないし、可哀想でいうなら店員さんの方がよほど可哀想だなと思うし、ただ不快な気持ちにさせられるだけの時間が過ぎようとしていた。

そこで自分は、おそらく生まれて初めて、店を出るという行動をとった。こんな不快な思いをさせられながら待って食べても不味く感じるだけだし、そこまでなんとしてもここで食べたかったわけでもない。だから、ようやく次、というところまできた行列を抜けて、別の店に行った。

結局、小綺麗な定食屋で、美味しい魚定食を生ビールと一緒に静かに楽しむことができて、とても快適だった。

笑われるかもしれないが、この決断は、今までの自分では考えられないことだった。

行列が長すぎるから途中で抜けるとか、店員に自分自身が非常に嫌な態度を取られたから帰るとか、そういうことはあったけれども、自分の前の客の態度が不快だからという理由で帰ったことはなかった。

自分に与えられた試練なわけでも、自分に何かできることがある状況なわけでもないのに、ただただ不快なエネルギーを受け取ることをぐっと堪える、ということが無意識のうちに当たり前になっていたのだ。

これは、おそらく小学生の頃あたりまで遡るのだと思う。しょっちゅう怒鳴る先生がいて、ホームルームでクラス全員いるところで、特定のクラスメイトに対して怒鳴っていて、自分らは関係ないのにそれをただ聞かされて、別に仲の良いクラスメイトでもなんでもなかったのに不思議と自分が怒られているような気持ちになって涙が出てきてしまったり、そういうことがあったのだ。

今風にいうと、HSPというやつなんだと思う。自分はだいぶいろんな経験をしてきて、メンタルのトレーニングをして、極力動じないようにはなってきたけれど、根っこの「繊細さん」が完全に消えることはない。

でも、店を出ただけで、驚くほど心が楽になったのだ。

あのまま店に居続けたパラレルワールドの自分はどうだっただろう。きっとまた息苦しくなってあれこれ考えて寝不足になっていたに違いない。

自分に起こることは全て起こるべくして起こっていると思うし、今受けているご依頼も全て縁で、自分の成長のために舞い込んできているものだと信じている。

プライベートでも、全ての人との出会いに意味があるし、一つ一つが学びだと思っている。

けれど、そこで全ての物事と腰を据えて向き合わなければいけないかと言われれば、それはNOだ。

ファーストフードで並んでいる人に、本来、目の前の面倒な客のクレームを聞く義務はない。暴力事件などに発展していれば、それは見て見ぬ振りもできないところもあるだろうが、単なる面倒なクレームである。

もっと自分を大切にしないといけないし、自分にとって心地よい人と物事で自分の世界を極力満たしていきたい。

YouTubeで、「チャンネルをおすすめに表示しない」「興味なし」をクリックし続けていると、気づけば自分の登録チャンネルや気に入っている動画の関連のものしか出てこなくなる。

それと同じ感覚で、自分の見える世界は、自分で取捨選択していけるのだ。

視野が狭くなるとか言われるが、果たしてそうだろうか。

必要な試練は、必ず、必要なだけ与えられるのだ。それ以外の嫌なことからは、逃げていい。目を逸らしていい。

情報が多すぎる今、そうしないと、きっと頭がパンクしてしまうし、自分を傷つけてしまう。

僕の依頼者さんは、感じ取りやすくて優しい方が多いと思うので、この記事も、少しでも響くものがあったらいいなと思う。


saitoyuta
弁護士

横浜・桜木町を拠点に活動する弁護士。弁護士9年目。5年3か月の勤務弁護士時代を経て独立開業。精通分野は交通事故(被害者側)。水瓶座O型。

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