横浜の風景

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2020年6月28日

中庸とは無理をしないこと

アイキャッチ画像 考えたこと

まさに、「目から鱗」だった。

最近、大竹稽氏による、モンテーニュ「エセー」の抜粋超訳を読んだ。タイトルは、「中庸の教え」。

超訳には賛否両論あるだろうけれど、原書の研究の第一人者が原書と向き合って向き合って、現代風に噛み砕いて表現してくれているのであるから、自分自身が(言語から!)勉強してその高みに到達するよりもはるかに合理的にエッセンスを吸収できるので、僕は肯定派だ。

読んでみて驚いた。エセーはもっと高尚でとっつきにくい主題の本かと思っていたけれど、深遠な思想と誠実さに貫かれつつも、「人間揺らいだりダメなとこも当然あるし、自分は自分だし、まあ、生きるってこんなもんじゃん?」的なノリで、実に親しみやすい。

その中で、「中庸とは無理をしないことだ」という言葉がめちゃくちゃに響いた。「自分にふさわしいことをするのも中庸」だそうだ。

これ、一見当たり前のことのように思えるけれど、こんなふうに直截に核心をとらえた表現は聞いたことがなかった。大竹氏自身、この著作に「エセー」のエッセンスをたくさんちりばめているのに、あえて「中庸の教え」をタイトルにしていることからも、この一節を重要と考えていることがわかる。

今まで(独立後は特に)本当にたくさんの自己啓発本やら人生哲学の本やらを読んできたけれど、ここまで自分にとって効き目のある言葉には出会えなかった。

結局、自分は無理をしていたのだ。

「成功」した人の努力やノウハウを知って、焦っていただけなのだ。焦る必要なんてないのに。

たくさん稼ぐことや名声を得ることが「成功」なら、自分は成功しなくていい。なぜなら稼げば金に縛られ、名声を得れば名に縛られるからだ。自分は自分らしく、無理をせずに一歩一歩成長して、自分を信頼してくれる方々のために良い仕事をしていければそれでいい。

レストランで例えるなら、ミシュランで星を取ろうとも行列の人気店になろうとも思わない。ただ近所の人たちに評判で何度でも足を運びたくなるようなこじゃれたビストロでありたい。

誰のものでもない自分の人生だ。人より優れているとか劣っているとかどうでもいい。比べること自体がナンセンスだ。

有名人になること、お金持ちになること、それも一つの生き方で、素晴らしい生き方だと思う。そういう生き方を強く望み、その才能がある人は、そう生きるべきだ。けれど自分はそうではないと最近特に感じている。

無理をしないというのは、だらけるということではない。自分はあまり家でゴロゴロしているのが好きではなくて、休日も外に出ないと逆に疲れてしまうので、無理にならないように過ごすと自然と中庸になる。

食べすぎても食べなさすぎても無理をしている。だからほどほどに食べるのが中庸だ。

ネットポルノをはじめとする性産業は、恐ろしいほどに世の中に浸透して消費社会の基盤を作っているけれど、よくよく考えたら無理やり刺激物を持ってきて自分の脳を興奮させて身体を疲弊させているのだから、道徳とかそんなの関係なしにそもそも「無理をしている」のであって、自分にとっては中庸の真逆をいくものだ。

中庸というのを、客観的にある程度固定された、徳人のそれと思っていたから、息苦しくなって、中庸から抜け出したくなって、極端に走って自分を傷つけていたのだ。

でもそれは違うとわかった。中庸の意味は人それぞれ違う。家でゆっくりするのが好きで、ずっと家にいても疲れないなら、それはその人にとっての中庸であるはずだ。もしネットポルノをずっと見ていても無理をしていないと思える人がいるのであればそのままでいいのではないか。

モンテーニュの教えの中には、「自分は自分でいい」というものがあって、中庸の教えはこれとセットに考えるべきものなんだなと初めて気づいた。

自分が自分らしく生きて、自分にふさわしいことを、自分にとって無理のないようにやっていくことが中庸だ。そしてそれが一番心地よい生き方なのだろう。

最近、寝る前に息子に絵本を読むスピードがゆっくりになった。今までは、早く読み終えて寝かせようと無意識に思っていたのか、早口で読んでしまっていた。口が疲れるのだ。「無理をしない」と思うようになってから、目の前の文字が自然と口から出てくるようになった。そのテンポが心地良いらしくて、息子もじっくり向き合ってくれるようになった。

あと、寝かしつける時、「寝ないの!」と泣き叫ぶ息子に対して、今までは「もう寝る時間だから寝ないとダメだよ」と真正面から向き合ってしまっていた。けれどこれは無理をすることだ。当然、息子は泣きやまない。

今日は発想を変えることにして、「寝たくないよね、わかった、すぐ寝なくていいから、一緒に数を数えてみようか。しまちゃん(しまじろう)が一匹、しまちゃんが二匹……」と数え始めたらケラケラ笑ってくれて、20匹数えた頃には寝ていた。

生きることというのは、要するに世の中や自然とどう向き合っていくかということだから、中庸か中庸でないかで生きやすさもだいぶ変わっていくだろう。

ウィズコロナではないけれど、何にでも過剰反応してプリプリ怒ってシャドーボクシングをしていたら疲れるだろうなと思う。

中庸は高邁な思想ではなくて、要するにリラックスして幸せに生きる知恵なんだろうなと思った。



saitoyuta
弁護士

横浜・桜木町を拠点に活動する弁護士。5年3か月の勤務弁護士時代を経て独立開業。一児の父。精通分野は交通事故(被害者側)。

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