横浜の風景

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2019年9月1日

メンタルと食事

アイキャッチ画像 考えたこと

吉野家のRIZAP牛サラダは、久しぶりの個人的スマッシュヒットだ。

美味しいし、体や心に負担がない。この間サウナでしっかり汗を流した後に食べたらまた格別で、イチローじゃないけど、ほぼイキかけました。

体や「心に」負担がない、というのは大事な問題だと最近よく考えるようになった。食事がメンタルに及ぼす影響がバカにならないと、個人で仕事をするようになってまざまざと思い知らされている。

人それぞれの体質だと思うのであくまで僕の場合として聞いてほしいのだけれど、自分にとってのキーは小麦と砂糖。この2つをちゃんと控えていると全てがうまくいく。これは気のせいではない。

お世話になっている鍼の先生から、小麦と砂糖を控えるように、常に腹式呼吸で舌を上前歯の裏につける気功の鼻呼吸をするように教わって、後者はすっかり習慣づいたのだけれど、どうしても小麦と砂糖がやめられない。

一人でいるときに、仕事の疲れから、無性に菓子パンやドーナツを食べたくなったとする。誘惑に負けて買ってきて食べる。体が痒くなって頭がぼーっとする。神経過敏になってイライラが募りやすくなる。さらに甘いものを欲するようになる。日中眠くなったので夜眠れなくなる。なぜかスマホをいじりたくなる。寝覚めが悪くなる。疲れやすくなる。この繰り返し。翌日のお腹の調子もよくない。

誤解しないでほしいのだが、齋藤はパンが大好きなのだ。横浜市内のローカルパン屋だけでも10個くらいオススメの店がある。パン屋には夢がある。トングを持って色々なパンを見ているときの気持ちの高ぶりで発電できたら地球環境に多大な貢献ができるだろうにと思うほどだ。

最近気づいたことで興味深いのが、人との関わりの中で自然に摂取した小麦や砂糖はそんなに問題にならないのだ。

どういうことか。たとえば友達とおしゃれなベーカリーカフェに行ったとする。友達がパンを2つとコーヒーを頼む。自分も同じ分量にする。これでメンタルが乱れることはほとんどない。

不思議なのは、自分がここで3つ頼んだ場合はもちろんのこと、友達がパン1つしか取らなくて自分は2つ取った場合も、メンタルが乱れるのだ。パン2つとコーヒーという内容は変わらないのに。

1つで十分なはずなのに自分の欲に負けた、とでも脳が無意識に捉えてしまうのだろうか。自分はド文系なので詳しいメカニズムはよくわからないが、これは自分にとって確かな現象なのだ。

たしかに空腹を抑えて生理的欲求を満たすためには1つで十分なはず。友達は1個なのだから、社会的欲求としても1つで十分なはず。そこから先は自分の意思の弱さだ。自分の体質に小麦と砂糖が合わないのを知っていながら、目先の快楽に負けてパンをより多く摂取することにしたのだ。

では友達が無類のパン好きで、4つも5つも頼むようなツワモノだったら?こういう人は僕の周りにはいないけれど、もしいたとして、そういう人と一緒だから俺も食べて大丈夫だろうという思いで彼とベーカリーカフェに行っているのであれば、それは自分のエゴであり、欲に負けたことになるのかなと思ったりしている。

酒についても同じことが言えるかもしれない。

結局、自分の中で、意識か無意識かはともかく、本当は極力摂取すべきでないということも、仮に摂取するとしたら限界値はここだよ、というのもわかっているんだろう。

自分にとって、うまくいく日とうまくいかない日の違いは歴然としている。

うまくいく日は、寝起きからいい感じだし、瞑想も集中できて、とにかく感覚が研ぎ澄まされている。48分仕事して12分休憩するサイクルが本当にきれいにハマっていくし、お弁当も少量でも十分満足で、イライラもなく、甘いものを欲することもなく、間食はバナナやナッツを一口ずつ味わって食べる。体が軽くてすぐ動き出せる。

うまくいかない日はその逆だ。感覚が麻痺して、スマホや悪いニュースに釘付けになる。食欲の暴走が止まらない。集中できない。一度欲に負けると面白いくらいに滑り落ちていく。真っ逆さまに堕ちてDesireである。

食事ぐらいでそんな大げさな、と思っていた。好きなものを好きなように食べて、自分の不調の原因を別のことに求めていた。でも本当に、食事を変えると色々なことが変わる。自分の体や心は嘘をつかない。

偉そうなこと書いてしまったけれど、自分自身への戒めとして書いたところも大きい。明日からもまた頑張ろう。


saitoyuta
弁護士

横浜・桜木町を拠点に活動する弁護士。5年3か月の勤務弁護士時代を経て独立開業。一児の父。精通分野は交通事故(被害者側)。

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